2016年03月02日

42. 飯生(いいなり)神社 〜北海道山越郡長万部町〜

冬が訪れて真っ白な世界になり、寒くてなかなか外出するのも億劫になる今日この頃で神社へもあまり行けてない今日この頃です。

そんな時の為に雪がない間に撮りためておいた神社を今回は紹介したいと思います。


『飯生(いいなり)神社』

所在地  山越郡長万部町字長万部379番地
御祭神  天照大神(あまてらすおおみかみ)
      大國主命(おおくにぬしのみこと)
      倉稻魂命(うかのみたまのみこと)     
社格等  旧村社
例祭   8月11日
鳥居   明神鳥居
拝殿   神明造

【由緒】
安永2年漁業の繁栄を祈念して建立したことに始まる。文化13年に新たに京都伏見稲荷神社より御分霊を勧請し、昭和5年神饌幣帛料供進神社に指定された。昭和8年現在地へ移転遷座、氏子町民敬神の念篤く、現社殿を昭和60年に造営し、現社務所を平成12年に造営した。


7.JPG



私の母は北海道後志管内の寿都郡、黒松内町の出身で、毎年お盆には祖父のお墓参りで家族で訪れます。
昨年も例年通りお墓参りをしに大好きだった祖父に手を合わせに、そしてあの長閑で自然が多い土地に触れたくて行ってきました
お墓参りの時にはだいたい長万部に住んでいる母の兄(私からみると叔父)夫妻の家に一度立ち寄って、みんなでお墓参りを済ませて現地解散というコースです💡

長万部といえば毛ガニやホタテや温泉など、人気のものもありますが最近だと”まんべくん”かな

長万部町に入り国道を走っていると遠くに派手な物体が動いてました

1.JPG


なんだアレは!?

・・・あのカラーリング・・・あのフォルム・・・

2.JPG


まんべくん(笑)
走行中の車から咄嗟に撮ったのでブレブレだけど、通りすがりに車の中から手を振ったら振りかえしてくれました(笑)

すごい偶然(笑)
そう、ここは長万部・・・
だけど当たりを見渡してもメジャーな施設はないし、スタッフさんもカメラマンさんも付き人みたいのは誰もいなかった。

普段から一人でブラブラと歩いてるのかな!?
この暑いお盆時期に・・・中の人、辛くないのかな・・・(笑)
これって長万部では普通の光景なんでしょうか?
謎です(笑)

その後、叔父の家について一休み。
お墓参りに行く前に1時間ほど休憩することになり、ふと、「そういえば近くに神社があったはず・・・」 と幼い頃の記憶を思い出して、みんなが談話してる間に一人で参拝に行ってきました。


3.JPG


記憶ではこの大きな鳥居を覚えているだけで神社の名前も知りませんでした。
親戚のお姉ちゃんとこの辺りを散歩した記憶・・・すごい幼い頃の記憶です。
今でもその神社はありました。

鳥居をくぐったところに碑石が建てられていました。

4.JPG

5.JPG


今更ながら知ったけど、歴史を語るものがここには残されていたんですね💡

調べによると、ここは1856年(安政3年)に江戸幕府から北方警備の命を受けた南部藩が、南部藩室蘭陣屋の長万部分屯所として開設した陣屋跡があるそうです。
現在も当時の豪や土類が残っているんだそうですが、訪れた時は時間もあまりなかったので見ることはできませんでした

鳥居から右に湾曲した参道の先に社号標が現れました。

6.JPG


少し期待させるニノ鳥居と階段

8.JPG


階段を登りきると・・・

9.JPG


あれ、案外フツー・・・

11.JPG手水舎


個人的には古めかしい境内やお社が落ち着くし好きなんですが由緒にも書いてあるように、社殿を昭和60年に造営、そして社務所を平成12年に造営しているので真新しく感じるのと、参道が舗装されてるのでちょっと感素な感じがしました💦

とはいえ、この飯生神社は長万部町では一番大きな神社で町民である氏子さん達がこの神社のお世話をしたり、建て替えなどをしてくれているそうです
そういう意味では町民に大切にされていて良かったなぁ〜と感じます

道内も過疎化していく町村はたくさんあります。
それに伴い、忘れ去られて消えていく日本の文化がたくさんある中で、こういう小さな町でも未だに大切にされている神社を見るとホッとしたりします
町内の方からすると私はきっと部外者ですが・・・(笑)

参道の左側は社務所、右側はまだ草木が残されているのですが、そこにちょっと変わった木がありました

10.JPG


草が茂っててちょっとわかりにくいかもしれませんが、根本のところで枝分かれして四方八方に広がりながら枝が伸びています。
どうしてこんな形になったんだろう?
木と話せるなら聞いてみたい

12.JPG 13.JPG
狛犬さん  右:吽形  左:阿形

ここの狛犬さんは控え目でコロンとした、気さくで陽気な狛犬さんでした
暑いのにお勤め大変ですね〜💦

14.JPG
拝殿


遠目に見た時は簡素な感じがしたものの、近くへ寄るとズシッと重みのある感覚でした💡

15.JPG
神額


『飯生(いいなり)』って聞き慣れない単語ですよね。
不思議に思ったのですが、由緒を読むと一目瞭然でした

”文化13年に新たに京都伏見稲荷神社より御分霊を勧請し・・・”

また、御祭神の倉稻魂命様は稲荷系の神様。
なので元々の”稲荷(いなり)”を変化させて”飯生(いいなり)”にした、ということですね。
そのまま”稲荷神社”とするのは何かアレだな〜ってなったんでしょうかね💧(笑)

16.JPG
拝殿から参道の眺め


ここから町と海を見据えてこの町の全てをずっと見守ってるんですねぇ

私の親族たちをいつも見守りいただきまして有難うございます・・・
これからも何卒宜しくお願い致します・・・

そんな風に御礼を述べさせていただきました。

なんだかんだ言って、産まれた頃から毎年の盆暮れ正月には黒松内町の母の実家と長万部町の叔父の家に泊まりに来ていて、祖父が亡くなってからは毎年のお盆に祖父のお墓と叔父の家に来てるから私自身もお世話になってるといえばそうだな・・・と思い直して、

私たち家族の道中も見守ってくださって有難うございます・・・

と付け足し💦

また来年来ます、と挨拶をしてこの場を後にしました
posted by RYO at 00:31| Comment(0) | 神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月21日

41. 北海道神宮 〜札幌市中央区〜

新年、明けましておめでとうございます。
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
皆様にとりまして笑顔の多い一年となりますように心からお祈り申し上げます。


怒涛の12月を乗り越えて、家族全員で無事に今年も迎えられたことをとても幸せに感じています。
自分が歳を重ねるということは両親も歳を重ねること。
誰ひとり病気も怪我もなく、今年も笑顔で親族一同で新しい年を迎えられるということは、本当に幸せなことだと歳を追うごとによりいっそう深く感じるようになりました。

悲しいことに、それは永遠にあるものでも当たり前のものでもない。

あと何回あるだろうか?

そう考えると家族をとても愛おしく思います。
同時に時間の無常さも感じます。
健康で長生きして欲しいな・・・

普段、初詣は三が日が過ぎて神社が落ち着いた頃にゆっくり訪れるのですが、今年はちょうど日曜日なのもあり、3日に行ってきました
いつも神社ではお願い事はしないのですが、初詣も去年の感謝と今年もよろしくお願いします的なことをお伝えしてきました。
対人間に新年の挨拶をするのと同じですね
ただ、そこには人であっても神様でもあっても心を込めてるかどうかが重要ですよね💡

初詣はどこへ行ったらいいのか聞かれることもしばしばありますが、基本的には氏神様または総本社(神宮など大きな範囲を見守ってくれてる神社)がいいと思います。
できれば両方の方がいいかなと私個人的には思います。
こうしなきゃダメっていうのはないと思いますが氏神様に挨拶せずに大きなメジャーな神社へ行くっていうのは、人間に置き換えて考えてみると、両親に挨拶せずに親戚の家に挨拶に行っちゃてる様なものでちょっと変に感じます💧
なので氏神様にも挨拶をするのがいいかなって思います。
普段近くで見守ってくれてる氏神様はまるで親みたいなとても身近な存在ですから
あとは産土神社(自分が産まれた地域にある氏神様)、よく立ち寄る馴染みのある神社なども行くといいかな〜って思ったりします

新年一発目の記事は、私の氏神様でもある北海道の一の宮(一宮、一之宮)、または総鎮守としても知られる北海道神宮を紹介します


32.jpg



『北海道神宮』

所在地  北海道札幌市中央区宮ヶ丘474番地
御祭神  大國魂神(おおくにたまのかみ)
     大那牟遲神(おおなむちのかみ)
     少彦名神(すくなひこなのかみ)
     明治天皇(めいじてんのう)
社格等  官幣大社
例祭   6月15日
鳥居   明神鳥居
拝殿   神明造

【由緒】
明治2年、当時「蝦夷地」等と呼ばれていた北海道は、日本の国土としてより明確にする為に、「北海道」と名づけられました。そして同じ年の9月1日に、明治天皇の詔(みことのり)(天皇のおことば)により、東京で「北海道鎮座神祭(ほっかいどうちんざしんさい)」を斎行(お祭を行う事)して、北海道の開拓・発展の守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の三柱の神々(開拓三神(かいたくさんじん)といいます)が鎮斎(ちんさい)されました。
 その御霊代(みたましろ)(神様が宿った依代。鏡や剣等々…)は東京から函館へ、そして札幌へと移されました。明治3年5月には仮社殿が建てられましたが、それは現在の鎮座地(神様の住まれる神社の建っている所)ではありませんでした。現在の位置に社殿が建てられたのは、明治4年のことで、この年に「札幌神社」と社名が決まりました。
 そして開国を決断され、西洋の文明を取り入れて現在に至る日本の礎を築かれた明治天皇を昭和39年増祀(ぞうし)(その神社にお祀りする神様が増えること)し、社名も「北海道神宮」と改称しました。
 約18万平方メートルの境内地は、桜の名所としても知られ、市民に親しまれていますが、現在の北海道神宮の社殿は、昭和49年放火に遭い、昭和53年に復興されたものです。(北海道神宮HPより引用)


6.jpg



北海道神宮は札幌の中心部から少し山側へ行った先の円山公園に隣接して建てられています。
円山公園は戦後、京都市にある円山公園をモデルに造成されたそうです。
園域は同区円山から宮ヶ丘まで渡っている札幌市民の憩いの場そのものです

1.jpg

2.jpg


春には桜がたくさん咲き、お花見する人でいっぱいになります
木々がたくさんの公園内の池ではカモも一休みしていて、人間もふと一息つける、そんな癒しの場所です。

私はいつもこの公園内を散歩しながら通って神宮の正面にあたる第二鳥居へ向かいます
緑の香りがとても居心地よくて・・・

101.jpg

98.jpg

99.jpg

97.jpg


写真を撮っていたらカラスも写りに来てくれました

100.jpg


ちょっと小さかったのでまだ成鳥ではないのかも。
この日は秋の晴れた早朝で、朝日に照らされた蜘蛛の巣が綺麗に輝いていました

96.jpg


余談ですが、生き物って不思議だしスゴイな〜って思うことが多々あります。
蜘蛛は誰にも教えられていないのに綺麗に蜘蛛の巣を作るの
虫は苦手だけど、蜘蛛の巣はまじまじと見てしまいます。
自然界のアート
生き物は素晴らしい
誰かに教えてもらわないの何もできないのは人間だけですね・・・非力さを感じます。

円山公園内には銅像の他に包丁塚が建てられていてその周りには紫陽花がたくさん植えられています。

94.jpg

95.jpg


読んでみると、紫陽花は日本で生まれた花と記されています
知らなかったー
神社を巡って色々な場所へ行き、色々なものをじっくり見てると勉強になることがたくさんあります

円山公園内には、他に動物園、野球場、陸上競技場、庭球場、子供の国などたくさんの施設があちこちあり、全部ひっくるめると本当に広い広い公園であることがわかります。

3.jpg


この公園の遊歩道を横切って北1条宮の沢通へ出て第二鳥居へ。

4.jpg
第二鳥居

5.jpg
社号標


北1条宮の沢通の手前の方には幹線道路をまたがるとても大きな鳥居がありますが、実はそこが第一鳥居。
それは撮っていません

北海道神宮のには入り口が3箇所あり(駐車場からの道を入れると4箇所)、それぞれに鳥居があります。
第三鳥居は本殿向かって左側に。
こちらにも駐車場があります。
円山公園口鳥居は、円山公園からの西側に。
この鳥居から入ると本殿へ向かう途中に末社となる神社が3つ並んでいます。
北海道神宮はよく行くけどこの3社を知らない、という方は実はかなりいます。
その3社については以前このブログでも記事を書いていますが、下の方に載せておきますネ。

北海道神宮の正面にあたる第二鳥居をくぐり、参道を歩きます。

91.jpg


ずーーーーっと向こうに見えるのが本殿。
左右には大きな杉の木を筆頭にたくさんの緑があって、鳥居をくぐった瞬間から特別な空気が漂います

90.jpg


この参道の両脇には桜の木もたくさん植えてあって、春に参拝に訪れると桃色のアーチになっていてとても綺麗です

参道の左には神宮の広い森と散歩道があって、森林の中を散歩することができます。

7.jpg


朝の木漏れ日が気持ち良い

とにかく広いので初めての方は看板で位置などをご確認くださいね

92.jpg


参道の途中から左右へ入る道があります。
右は六花亭の小さなお店があって、ここで「判官様」のお饅頭をお茶をいただけます。
左の道は円山公園口鳥居と第三鳥居へ向かう道。

神宮の森と末社へはここから入ると良いですよ
ついでなのでご紹介しますね

60.jpg

62.jpg

61.jpg


境内の大きな森には野鳥がたくさんいて、いろんな鳴き声の鳥の囀りが聴こえて癒されます

こちらは手水舎の裏側の小道。
ベンチがあって、森林浴ができます

58.jpg


この道を行くと先ほどの鳥の看板があった道に合流できてそこから左の方へ向かうと末社、更にその先は円山公園口鳥居です。
ここら辺は桜の時期はもちろん綺麗ですが、紅葉の時期も是非オススメです

69.jpg


北海道神宮本殿から行くと、穂多木神社鉱霊神社開拓神社の順に並んでいます。
ちょうど禰宜さんが朝の祝詞を挙げているところに出くわしました



ここの御神木がとても好きです

79.jpg 74.jpg


全てを優しく包み込むような、そんな感じがするんです

一番奥に(円山公園口鳥居から入ると一番手前)にあるのが開拓神社で、我が家では崇敬神社としてお札を神棚に入れています。



鳥居をくぐった瞬間から伝わるピンと張り詰めた感じが背筋がシャンと伸びる感じで畏怖を感じます。
仕事で行き詰まった時にはよくこちらにお邪魔して話しを聞いてもらいます💡

人がたくさん出入りしている本殿とは違って静かに参拝できるのでこちらのお社は私にとって特別な場所でもあります
感覚でいうと、お歳を召したお爺ちゃんみたいな穏やかな神様がいる雰囲気。
開拓神社は顔は怖いし厳しいけど人情味がめっちゃある仕事バリバリこなしちゃう社長さんみたいな感じ。
どんな表現やねん(笑)

来た道を参道の方へ戻ります。
右手にあるのは梅林です。

80.jpg


たまにキツツキ(クマゲラ、アカゲラ)が巣を作りに来ていますよ

北海道神宮ではこの梅林の梅と山で採れる湧き水(ミネラルウォーター)を使って作られた梅酒を御神酒として授与所で扱っています。
神様の土地で作れられた、ここでしか頂けない貴重なものなので、参拝の祭には是非手に入れて欲しいです
味はどうかというと、意外と美味しい
年末に両親と兄の家の神棚の分もいただいたのですが、家族からの評判も良かったです

野鳥以外に北海道神宮の境内でよく出会うのがエゾリスです。

この日も目の前まで来てくれました

82.jpg

83.jpg

81.jpg


お腹が白くて尻尾がモフモフで可愛すぎる

キタキツネも現れるようですが私はまだここでは出会ったことはありません。
いつか会いたいな

参道に戻って手水舎へ。

55.jpg

56.jpg
手水舎


ババーーーン

54.jpg
楼門


存在感MAXな楼門
車椅子の方も参拝できるように脇には数年前にスロープがつきました。

57.jpg


そのスロープの左奥に”島 義勇(しま よしたけ)"の像があります。
島義勇(文政5年9月12日(1822年10月26日) - 明治7年(1874年4月13日))は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての佐賀藩士、官吏で札幌市の都市開発に関わり、「北海道開拓の父」と呼ばれている佐賀の七賢人の一人です。
札幌市と言う街は風水を用いて京都に似せて作られていて、島義勇なくしては今の街並みもありません。

9.jpg

10.jpg

11.jpg


彼の従者であった福玉仙吉が島義勇の死後、その鎮魂のために明治8年(1875年)に札幌神社(北海道神宮の旧名)の参道に植えた150株の桜(今はもっとたくさんあると思います)が毎年綺麗な花を咲かせます。

授与所ではこの北海道神宮の桜を使った桜湯茶があるのでこれも是非いただいてください
お目出度い席などに出される桜湯茶ですが、ふんわり香る桜がなんとも優雅な時間をくれます

楼門の逆側、右手には祓所、皇族の方々のご参拝の記念の木などが植えられています。

12.jpg
祓所

13.jpg


皆さん、日本の国歌にある「さざれ石の〜」の”さざれ石”って見た事ありますか??
”さざれ石”とは、これです

15.jpg

16.jpg


凄いですよね
これ、元は小さな小石だったなんて
日本の国歌には本当に深い意味が込められているんだよね・・・

さざれ石の更に右にあるのは社務所と道場です。

64.jpg

66.jpg

65.jpg


慶陽館からも本殿に入れます。

51.jpg


さてさて、やっとこの楼門をくぐり、いざ本殿へ

52.jpg


これが北海道神宮の拝殿です

32.jpg

19.jpg

20.jpg
拝殿から楼門の眺め


朝の神宮は空気も澄んでいてキラキラしていて本当に気持ちがいいです
ずーーーっと居られる・・・

21.jpg

22.jpg

36.jpg

31.jpg

18.jpg

37.jpg


境内には皇族の方々がお植えになったものや御参拝記念に植えられたイチイの木や松などもたくさんあります。
太陽の角度で昭和天皇の御参拝記念の木が特にキラキラして写りました

27.jpg 28.jpg

35.jpg 34.jpg

23.jpg 24.jpg

29.jpg 26.jpg


因みにイチイの木は北海道弁で言うと、”オンコの実”が成る木です
子供の頃食べたやつ・・・(笑)

30.jpg


こう見ると、緑に赤い実がアクセントになってて可愛いんですよね〜
イチイの木は”一位”とも表現される縁起の良い木ともされています

お守りや紹介した「梅酒」、「桜湯茶」はこちらの授与所でどうぞ

47.jpg


絵馬に記入する時はこの中で💡

39.jpg


御神籤は最近は英語バージョン、台湾語バージョンもあります

41.jpg


進化したな〜
年に一度、新年に引く御神籤は、私はいつもコレ

42.jpg


お守りが入った御神籤です
全部で10種類のお守りがありますが、確かもうコンプリートしてたような・・・
毎年初詣の時にのみ、神宮で御神籤を1度だけ引きますが、今まで被ったことがない
それはそれでちょっと凄いことかもしない

恋みくじなんかもあります。

43.jpg

44.jpg

45.jpg

46.jpg
神籤掛け・絵馬掛け

38.jpg

48.jpg

49.jpg


閉門時にはこの太鼓がお知らせしてくれるんですよ💡
夏場は17時、冬場は16時に閉まるんだったかな?

帰りの参道。

53.jpg

87.jpg


この緑が桃色になる季節が待ち遠しいです

歩く度に玉砂利が鳴って、空からは鳥の囀りが聞こえて・・・

89.jpg


鳥居を出た瞬間に現実に引き戻されてしまう
寝袋持ってきて泊まりたいぐらい北海道神宮が好きです(笑)

ゆっくり内観をしたい時はよく散歩しながらここへ来ています。

心を落ち着けて、全感覚でこの場所を感じるだけで気分が清々しくなったりホッとしたりする
頭だけで考えるんじゃなくて、自分の中のいろんな”感覚”ってとても大事ですからね

北海道神宮は私にとってはとても落ち着く場所ひとつ

オマケで今年の初詣の様子を掲載しますね

12468264_867656033347136_650174790_n.jpg

12494478_867656790013727_1120680128_o.jpg

12482786_867656773347062_978465076_o.jpg


この日は1月3日なので人の数もそれほどではないですが、元旦はこの参道にびっしり人がいます

12494023_867658350013571_809449568_o.jpg


献血車も来ています

12490061_867658340013572_1811670870_o.jpg


手水舎がこんなに混んでるのはこの時期だけです💦

12483205_867658730013533_12152078_o.jpg

12470031_867658723346867_1175387940_o.jpg


お賽銭はお正月はお賽銭箱ではなくて拝殿の前一面がお賽銭を入れる場所になってましたよ💡

12494164_867664203346319_504393310_o.jpg


出店もたくさん出ていて賑わっていましたよ

今回も最後までお付き合いくださってありがとうございました
posted by RYO at 01:12| Comment(0) | 神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月24日

40. 松尾大社 〜京都府京都市西京区〜

京都の月読神社を後にして、松尾大社へ向かいました。
京都最古の神社の一つです。


79.JPG


『松尾大社』

所在地  京都府京都市西京区嵐山宮町3
御祭神  大山咋神(おおやまぐいのかみ)
     中津島姫命(なかつしまひめのみこと)=市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
社格等  式内社
例祭   4月2日
鳥居   明神鳥居
拝殿   三間社両流造檜皮葺(松尾造)

【由緒】
[磐座祭祀]
当社の御祭神“大山咋神”は、当社社殿建立の飛鳥時代の頃に、始めてこの場所に祀られたものではなく、それ以前の太古の昔よりこの地方一帯に住んでいた住民が、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら)に祀って、生活の守護神として尊崇したのが始まりと伝えられております。

[秦氏来住]
五・六世紀の頃、秦の始皇帝の子孫と称する(近年の歴史研究では朝鮮新羅の豪族とされている)秦(はた)氏の大集団が、朝廷の招きによってこの地方に来住すると、その首長は松尾山の神を同族の総氏神として仰ぎつつ、新しい文化をもってこの地方の開拓に従事したと伝えられております。

[秦氏の開拓]
伝説によると……
……「大山咋神は丹波国が湖であった大昔、住民の要望により保津峡を開き、その土を積まれたのが亀山・荒子山(あらしやま)となった。そのおかげで丹波国では湖の水が流れ出て沃野ができ、山城国では保津川の流れで荒野が潤うに至った。そこでこの神は山城・丹波の開発につとめられた神である。」……
と申すのも、秦氏がこの大山咋神のご神威を仰ぎつつ、この地方一帯の開拓に当たったことを示すものと言えます。

[大堰と用水路]
また秦氏は保津峡を開削し、桂川に堤防を築き、今の「渡月橋」のやや少し上流には大きな堰(せき=大堰→大井と言う起源)を作り、その下流にも所々に水を堰き止めて、そこから水路を走らせ、桂川両岸の荒野を農耕地へと開発して行ったと伝えられております。
その水路を一ノ井・二ノ井などと称し、今現在も当社境内地内を通っております。

[酒造神]
農業が進むと次第に他の諸産業も興り、絹織物なども盛んに作られるようになったようです。
酒造については秦一族の特技とされ、桂川に堤防を築き、秦氏に「酒」のという字の付いた人が多かったことからも酒造との関わり合いが推察できます。
室町時代末期以降、当松尾大社が「日本第一酒造神」と仰がれ給う由来はここにあります。

[平安京誘引]
時代と共に経済力と工業力を掌握した秦氏は、大和時代以後朝廷の財務官吏として活躍し、奈良時代の政治が行き詰まると、長岡京へ、次に平安京へ遷都を誘引したのも秦氏の膨大な勢力によるものであったことが定説となっております。

〔神殿の造営〕
文武天皇の大宝元年(西暦701)に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて、山麓の現在地に神殿を営み、山上の磐座の神霊をこの社殿に移し、その女の知満留女(ちまるめ)を斎女として奉仕し、この子孫が明治初年まで当社の幹部神職を勤めた秦氏(松尾・東・南とも称した)です。

〔松尾社と平安遷都〕
上代において秦氏を始めとする山城・丹波の住民から、農産業、土木工業の守神と仰がれた当社は、平安時代以降朝廷の守護神とされるに至りました。桓武天皇は延暦3年(西暦784)11月、都を長岡京(現在の京都府長岡京市)に移されると、勅使を派してこれをご奉告になり、秦氏の邸宅に御所を営まれましたが、まもなく平安京に都を移されると、当社と賀茂神社とを皇城鎮護の社とされ、賀茂の厳神、松尾の猛霊と並び称されて、ご崇敬はいよいよ厚く加わるに至りました。

〔神階昇叙〕
仁明天皇は、承和年間(834〜847)に勅使を遣わして奉幣あらせられ神階を従三位に昇せ、文徳天皇は仁寿2年(852)に正二位を、清和天皇は貞観元年(859)に正一位に進められ、後に勲一等に叙せられました。

〔二十二社〕
醍醐天皇の御代に編修された延喜式(927年撰上)には、二神とも名神大社に列せられているのですが、その後二十二社の制が立てられると、その第四位に記されるに至りました。

〔皇室の参拝祈願〕
一条・後一条・後朱雀・後三条・堀川・崇徳・近衛・後鳥羽・順徳の各天皇は行幸参拝あらせられ、清和・後白河両天皇はご神宝をご奉納、仁明天皇は病気平癒を、清和天皇は甘雨を、村上天皇は皇居並びに京師の安泰をそれぞれご祈願あらせられました。

〔荘 園〕
平安時代には前述のような状況で、社頭は極めて栄え、社領も遠近各地に散在しており、丹波国の雀部庄、小川庄、天田川庄、摂津国の山本庄、越中国の松永庄、甲斐国の巨摩庄、遠江国の池田庄、伯耆国の竹田郷、三朝郷、東郷庄、豊前国の門司関などが著名です。

〔分霊社〕
また当社のご分霊を勧請して各地に祀ることも盛んで、現在全国に存するご分霊社一千三百余の内には、この時代に創設されたものが相当あったと云われております。

〔武門の崇敬〕
鎌倉時代に入ると、源 頼朝公は社参して願文を奉納し、黄金百両、神馬十頭を献じましたが、以後も武門の崇敬は続き、将軍足利義政、豊臣秀吉も神馬を献じました。

〔江戸時代〕
江戸時代には、ご朱印の社領千三百三十三石を有し、また嵐山一帯の山林一千余町歩を持っており、奉仕する神職は三十三名、神宮寺の社僧は十余名、筆頭の神主・秦氏は累代三位の昇せられ、また幕末には、勅使を派遣される勅祭社に擬せられたこともあったのです。

〔明治時代以降〕
諸政一新の明治4年になると、全国神社中第四位の序列をもって官幣大社に列せられ、政府が神職の任命や社殿の管理などを行う国の管轄となり、大正11年には皇后陛下ご参拝あそばされ、終戦直後には梨本宮妃殿下がご参拝なされました。また天皇陛下よりはしばしば神饌幣帛料をご奉納なされました。
終戦後は、国家管理の廃止により、官幣大社の称号も用いないことになったことから、同名神社との混同を避けるために昭和25年に松尾大社と改称し現在に至っております。



由緒は松尾大社のHPからコピペさせていただきましたが、とっても詳しく丁寧❗
この神社を大切に思って作られたんだろうなぁと感じ取れます😃
嵐山の手前で堂々とこの地を護っている松尾大社。

1.JPG


松尾大社駅を降りて交番を過ぎると立派な鳥居がすぐ視界に飛び込んできます。

2.JPG

3.JPG

4.JPG


参道の手前に小さな川が流れていて、その先に二之鳥居。
(月読神社は二之鳥居の手前で左に曲がります)

6.JPG

7.JPG


この鳥居を見て「鳥居にぶら下がってるアレは何だ?」と思ったのですが、松尾大社のHPによるとこういうことだそうです。

〔脇勧請〕
赤鳥居の上部に柱と柱を結ぶ注連縄があり、それに榊の小枝を束ねたものが数多く垂れ下っていますが、これは脇勧請と称されるもので、榊の束数は平年は12本、閏年は13本吊り下げる慣わしとなっています。この形は『鳥居』の原始形式を示すもので、太古の昔、参道の両側に二本の木を植えて神を迎え、柱と柱の間に縄を張り、その年の月数だけの細縄を垂れて、月々の農作物の出来具合を占ったとされています。現在では、示す詳しい資料なども現存せずその占いの方法や仕方などはほとんどわかりませんが、占いによって月々の農作物などの吉凶を判断していた太古の風俗をそのまま伝えているので、民俗史学上も貴重な資料とされています。


榊でした❗
茶色くカッサカサになっていたので分からなかった💧
太古の昔はこれで農作物の出来を占っていた、と。
資料が残されてないのでどのように占っていたのかはわからないみたいですが、気になりますねぇ✨
「榊の束数は平年は12本、閏年は13本吊り下げる」と書いてあるので、昔は閏年は一年に13ヶ月と言う設定だったんですね💡

二之鳥居から楼門までの間に茶屋やお漬物屋さんなどがあってとてもそそられるんだけど・・・フライトまでの時間があまり残されていないので(大坂で大好きな住吉大社に寄りたいから💦)、残念ながらスルー💧

76.JPG

77.JPG

78.JPG


次回来た時は堪能します😃

楼門の両側には随神が配置されてますがこれは江戸時代初期の作だそうです。
随神の周囲に張り巡らせた金網にはたくさんの杓子が。
道民の私にとってはなかなか珍しく感じるのですが、この風習は願い事を記して掲げておけば救われると言う信仰にあるそうです。
祈願杓子というそうです💡

8.JPG

10.JPG 9.JPG


この日は月曜日でしたが、国内外の観光客があちらこちらに。
他の方から見ればもちろん私も観光客の一人ですが💦

楼門をくぐって・・・

11.JPG


正面に拝殿❗

12.JPG


そのまま行きたいところだけど手水舎でお清め。

13.JPG


この手水舎で御神託かと思うような不思議なことがあったのですが、それは後ほど・・・

14.JPG


手水舎に龍はよく見かけるけど松尾大社は亀❗

15.JPG


境内を歩き回ると亀と鯉がたくさん・・・
亀と鯉は松尾大神様のお遣いなのだそうです😃

16.JPG
拝殿

20.JPG
本殿から拝殿を撮影


この歴史を感じる古い木の感じがとても好きです😃
古木の香りも・・・

19.JPG
本殿


とても荘厳な雰囲気の本殿
こういう色味の狛犬さんもなかなかいない気がします。

22.JPG
授与所

21.JPG
神輿庫

23.JPG
絵馬掛け


絵馬掛けを正面から見るとこう。

35.JPG

37.JPG
相生の松


とにかくここの神社も広い❗

17.JPG


どこかの駅にトランク預けて来ればよかった・・・
何度そう思ったことか(笑)
皆さんに色々お伝えしたいので諦めずにひたすら歩き倒します❗

24.JPG
重軽の石


重軽の石は伏見稲荷大社にもありましたね🎵

26.JPG
幸運の撫で亀

25.JPG

39.JPG
幸運の双鯉

40.JPG

27.JPG
椋の霊樹

28.JPG

34.JPG
伊勢神宮遙拝所


小さなお社もあります。

32.JPG


衣手社から順に・・・

30.JPG 29.JPG
衣手社と一挙社

31.JPG 33.JPG
金刀比羅社と祖霊社


キジバトの鳴き声が聞こえるな〜と思ったら、こんなところにいました😃

41.JPG


全然逃げません(笑)
休憩中のようです。
地面、暑くないのかなぁ?

42.JPG
祓戸大神


冒頭で伝えた手水舎での不思議なことですが、たまたま手水舎で居合わせたご婦人に話しかけられたのです。
トランクを持っていたから旅人だとわかったんでしょうね。

「こっちは暑いでしょう。どこから来たの?」

と話しかけられ、「札幌から来ました」なんていう会話の流れからそのご婦人のご子息も札幌在住のようで・・・
と、そのご婦人が、

「奥の方にね、滝があるの。
 後で行ってみて。
 そこの水は本当は飲んじゃいけないんだけど、"見物です"って言って滝の水を飲んでごらん。
 亀の方じゃなて滝の方ね!」

無邪気な感じでこう言われたのです。

「わかりました、行ってみます。
 色々お話ししてくれてありがとうございました!」

なんて言って拝殿へ向かった私ですが、ふと、見ず知らずの旅人に何でいきなりあんなことを教えてくれたんだろう・・・と少し不思議に思っていました。

思えば、この旅の始まりでも不思議なことがあったんです。
札幌から千歳空港までの移動のJRの中で、見回り(?)に来た車掌さんが私の前で立ち止まり、これまたいきなり、

「あっちは暑いからねぇ!
 熱中症にならないように気をつけてね」

と笑顔で言ってサーっと人ごみの中を消えて行きました・・・
たくさん人がいる中で私だけに話しかけてそう言ったのです。
咄嗟に話しかけられたので「はい」としか答えたれなかったんだけど、その直後ポカーンとなりました。

今の何???💦
なぜ私の行き先を知ってるの?👀

トランクを持って空港へ向かうJRの中にいたので飛行機でどこかへ向かうであろうことは簡単に想像つくだろうけど、空港からは色んなところへ向かう飛行機が出てるのに、私が暑い地域に行くだなんてなぜわかったのか!?
北に向かう飛行機もあるのに!?
もしくは東京や関西でトランジットしたとしてもそこからの行き先なんて誰にもわかるワケもないのに・・・💦

もしやあの車掌さんが依代になってくれた??・・・

なんていう出来事から始まったこの旅。

手水舎で言われた滝はどこにあるんだろう?
探しながら松尾大社を一回りしてみたけど視界に入るとこには見当たらない・・・

と、ここに謎の通路が

74.JPG


行ってしまえ
と潜った先には・・・

43.JPG


緑とお社の景色が広がっていました
本殿がある方とは雰囲気が違います。
透き通ってる感じ

44.JPG

45.JPG


ここは「松風園」という庭園になっていました。
通路の右にお庭が広がっていたのでそちらへ行こうとしたら、曲がり角にある社務所のおじさんに、「そっちは有料なんだ。あっちの滝の方は無料だよ」と引きとめられました。

「滝!?」

踵を返して”あっちの滝”の方へ向かいました。

46.JPG


正面のお社の手前、右側にあるのは手水舎かな?

49.JPG


暗くて見えないけど、近づいたら御影石で作られた亀の口から水が出ていて、手前に小川が流れていました。

48.JPG


あの手水舎のご婦人は、
「亀の方じゃなくて、滝の方」
って言ってたっけ・・・
しかも「亀の方のはもう飲めないから・・・」とも言っていた。
このブログを書くために松尾大社について色々調べていたら、この「亀の井」の水は滝からの霊泉で、酒造家はこの水を酒の元水として造り水に混和して用い、また“延命長寿”“蘇り”の水としても有名とのことでした。
滝は「霊亀の滝」といい、この滝から流れ出る「亀の井」の水は現在は茶道や書道の用水として早朝から開門と同時に家庭用水として酌みにくる方も多いようです。

今更だけどそうなると益々、あのご婦人の言葉が気になる・・・
飲用できるのに「亀の方は飲めない」と何故言ったんだろう??

「亀の井」からふと左に目をやると奥に赤いものが

50.JPG


おお!!?

51.JPG


上の方に何か白っぽい筋・・・そして足元に小川・・・滝やないかい❗❗

55.JPG


早く行きたい
一人でかなり興奮しながら足早に向かいました。

正面にあったお社をの前を過ぎて・・・

56.JPG


今気づきましたが、立て札に「滝御前」て書いてあったんですね(笑)

このお社の右奥にも赤い鳥居がありました。
あっちも行けるのかな?

57.JPG


後で行ってみようと思ってたのですが、そんなことも滝の前で全て頭から飛んで行ってしまいました(笑)

67.JPG 58.JPG


「滝御前」・・・ここだ、見つけた

なんとも言えない神聖な雰囲気・・・
空気にキラキラしてるのが混ざってる感覚・・・

ここに来た途端、空気感が違ってまるで別世界のようで凄く気持ち良くて、猛暑の中をひたすら歩いて汗だくのヘトヘトだったのに、そんなことはどこかに消えてしまって、ふわ〜っと何かに包まれる感じがしました

70.JPG 69.JPG


お社の横にある苔むした石、何かわからなかったんですが、今回滋賀に呼んでくれた方が後日ここを訪れた際にはいなくなっていました。

59.JPG 62.JPG


写真でどこまで皆様に伝わるかわからないけど・・・

60.JPG 61.JPG


是非、受け取れるなら受け取っていただきたいです

63.JPG 64.JPG


因みに、この滝の左の岩壁に「天狗岩」と呼ばれる部分があるのですが、わかるかなぁ??
写真の中央部分ど真ん中に大きめに写ってます。

66.JPG


・・・が、わかりにくいと思うので是非実際に行って確認してください(笑)

途中、人間ぽくない人が滝御前の手前に突っ立っていたのですが、ここには入れなかったようです

ずっとこの場所にいたい気分なのですが、何しろフライトの時間が押し迫ってきてるので・・・
滝御前で神様にお礼と「また改めて来ます」とサヨナラをして渋々その場を後にしました。

74.JPG
松風園の入り口へ戻るの図。


境内マップでも入手してたら別だけど、訪れても「滝御前」まで行かずに帰った方も結構いるんだろうな・・・
手水舎であの謎のご婦人に会わなければ私も見過ごしていたかもしれない・・・
でもあまり無駄に知られてない方がいいのかも・・・

そう考えると益々不思議な気持ちになるのと同時に、感謝の気持ちでイッパイになるのでした。

75.JPG
楼門から参道の眺め


この後、恒例のコースで、関空までの道のりで大阪で途中下車して好物の551蓬莱の豚まんと焼売とチマキを仕入れて住吉大社へ向かいました。
今回は五大力の御守りもお返ししなきゃだし・・・
(住吉大社は以前に書いてるので、興味のある方はこちらをどうぞ)

大好物です、551
札幌にも肉まん(豚まん)屋さんは幾つかあるけどここまで美味しいのはない
焼売もチマキも今までの人生でピカイチ

あ、551って札幌にはないんですよ。
つい先日、大坂在住の知人と会話してた時に「551は関西にしかないんだよー」ってことを伝えたら、
「え、ほんまに❗知らんかった❗」と。
札幌来る時あったら豚まん買ってくわーって言ってくれたので「チマキと焼売も❗」と図々しく上乗せしておきました(笑)

住吉大社駅の近くの公園で豚まん食べてた時に思い出したんですが・・・

やっべーーーーーー❗❗
滝の水飲むの忘れたーーーーーッ❗😵


ガッカリ・・・
でもまぁ、お水いただかなくても充分なぐらい神気で包んで下さったのでそれだけで有難かったから今度にしよう、ということで自分を納得させました💧
戻る時間の余裕もないし、また松尾大社に行く理由ができたということで❗

これも後から調べてわかったのですが、「亀の井」の山側にあった鳥居は松尾山の古代の磐座の登山道にある鳥居で、有料だけど磐座参拝が出来るんだそうです。
今度は松尾山を登って磐座まで行ってみたいなぁ
伏見大社のお山も全部登ってないし、これはまた京都行かなきゃダメですね

他にもたくさん行きたいところがあったけど、日にちが足りなすぎました

京都は神様に守られた素晴らしい土地ですネ

また遠くないうちに訪れたいと思います❗
また、今回の関西旅行でお会いできた皆様、心からありがとうございました
posted by RYO at 06:18| Comment(0) | 神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする