2015年11月24日

40. 松尾大社 〜京都府京都市西京区〜

京都の月読神社を後にして、松尾大社へ向かいました。
京都最古の神社の一つです。


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『松尾大社』

所在地  京都府京都市西京区嵐山宮町3
御祭神  大山咋神(おおやまぐいのかみ)
     中津島姫命(なかつしまひめのみこと)=市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
社格等  式内社
例祭   4月2日
鳥居   明神鳥居
拝殿   三間社両流造檜皮葺(松尾造)

【由緒】
[磐座祭祀]
当社の御祭神“大山咋神”は、当社社殿建立の飛鳥時代の頃に、始めてこの場所に祀られたものではなく、それ以前の太古の昔よりこの地方一帯に住んでいた住民が、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら)に祀って、生活の守護神として尊崇したのが始まりと伝えられております。

[秦氏来住]
五・六世紀の頃、秦の始皇帝の子孫と称する(近年の歴史研究では朝鮮新羅の豪族とされている)秦(はた)氏の大集団が、朝廷の招きによってこの地方に来住すると、その首長は松尾山の神を同族の総氏神として仰ぎつつ、新しい文化をもってこの地方の開拓に従事したと伝えられております。

[秦氏の開拓]
伝説によると……
……「大山咋神は丹波国が湖であった大昔、住民の要望により保津峡を開き、その土を積まれたのが亀山・荒子山(あらしやま)となった。そのおかげで丹波国では湖の水が流れ出て沃野ができ、山城国では保津川の流れで荒野が潤うに至った。そこでこの神は山城・丹波の開発につとめられた神である。」……
と申すのも、秦氏がこの大山咋神のご神威を仰ぎつつ、この地方一帯の開拓に当たったことを示すものと言えます。

[大堰と用水路]
また秦氏は保津峡を開削し、桂川に堤防を築き、今の「渡月橋」のやや少し上流には大きな堰(せき=大堰→大井と言う起源)を作り、その下流にも所々に水を堰き止めて、そこから水路を走らせ、桂川両岸の荒野を農耕地へと開発して行ったと伝えられております。
その水路を一ノ井・二ノ井などと称し、今現在も当社境内地内を通っております。

[酒造神]
農業が進むと次第に他の諸産業も興り、絹織物なども盛んに作られるようになったようです。
酒造については秦一族の特技とされ、桂川に堤防を築き、秦氏に「酒」のという字の付いた人が多かったことからも酒造との関わり合いが推察できます。
室町時代末期以降、当松尾大社が「日本第一酒造神」と仰がれ給う由来はここにあります。

[平安京誘引]
時代と共に経済力と工業力を掌握した秦氏は、大和時代以後朝廷の財務官吏として活躍し、奈良時代の政治が行き詰まると、長岡京へ、次に平安京へ遷都を誘引したのも秦氏の膨大な勢力によるものであったことが定説となっております。

〔神殿の造営〕
文武天皇の大宝元年(西暦701)に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて、山麓の現在地に神殿を営み、山上の磐座の神霊をこの社殿に移し、その女の知満留女(ちまるめ)を斎女として奉仕し、この子孫が明治初年まで当社の幹部神職を勤めた秦氏(松尾・東・南とも称した)です。

〔松尾社と平安遷都〕
上代において秦氏を始めとする山城・丹波の住民から、農産業、土木工業の守神と仰がれた当社は、平安時代以降朝廷の守護神とされるに至りました。桓武天皇は延暦3年(西暦784)11月、都を長岡京(現在の京都府長岡京市)に移されると、勅使を派してこれをご奉告になり、秦氏の邸宅に御所を営まれましたが、まもなく平安京に都を移されると、当社と賀茂神社とを皇城鎮護の社とされ、賀茂の厳神、松尾の猛霊と並び称されて、ご崇敬はいよいよ厚く加わるに至りました。

〔神階昇叙〕
仁明天皇は、承和年間(834〜847)に勅使を遣わして奉幣あらせられ神階を従三位に昇せ、文徳天皇は仁寿2年(852)に正二位を、清和天皇は貞観元年(859)に正一位に進められ、後に勲一等に叙せられました。

〔二十二社〕
醍醐天皇の御代に編修された延喜式(927年撰上)には、二神とも名神大社に列せられているのですが、その後二十二社の制が立てられると、その第四位に記されるに至りました。

〔皇室の参拝祈願〕
一条・後一条・後朱雀・後三条・堀川・崇徳・近衛・後鳥羽・順徳の各天皇は行幸参拝あらせられ、清和・後白河両天皇はご神宝をご奉納、仁明天皇は病気平癒を、清和天皇は甘雨を、村上天皇は皇居並びに京師の安泰をそれぞれご祈願あらせられました。

〔荘 園〕
平安時代には前述のような状況で、社頭は極めて栄え、社領も遠近各地に散在しており、丹波国の雀部庄、小川庄、天田川庄、摂津国の山本庄、越中国の松永庄、甲斐国の巨摩庄、遠江国の池田庄、伯耆国の竹田郷、三朝郷、東郷庄、豊前国の門司関などが著名です。

〔分霊社〕
また当社のご分霊を勧請して各地に祀ることも盛んで、現在全国に存するご分霊社一千三百余の内には、この時代に創設されたものが相当あったと云われております。

〔武門の崇敬〕
鎌倉時代に入ると、源 頼朝公は社参して願文を奉納し、黄金百両、神馬十頭を献じましたが、以後も武門の崇敬は続き、将軍足利義政、豊臣秀吉も神馬を献じました。

〔江戸時代〕
江戸時代には、ご朱印の社領千三百三十三石を有し、また嵐山一帯の山林一千余町歩を持っており、奉仕する神職は三十三名、神宮寺の社僧は十余名、筆頭の神主・秦氏は累代三位の昇せられ、また幕末には、勅使を派遣される勅祭社に擬せられたこともあったのです。

〔明治時代以降〕
諸政一新の明治4年になると、全国神社中第四位の序列をもって官幣大社に列せられ、政府が神職の任命や社殿の管理などを行う国の管轄となり、大正11年には皇后陛下ご参拝あそばされ、終戦直後には梨本宮妃殿下がご参拝なされました。また天皇陛下よりはしばしば神饌幣帛料をご奉納なされました。
終戦後は、国家管理の廃止により、官幣大社の称号も用いないことになったことから、同名神社との混同を避けるために昭和25年に松尾大社と改称し現在に至っております。



由緒は松尾大社のHPからコピペさせていただきましたが、とっても詳しく丁寧❗
この神社を大切に思って作られたんだろうなぁと感じ取れます😃
嵐山の手前で堂々とこの地を護っている松尾大社。

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松尾大社駅を降りて交番を過ぎると立派な鳥居がすぐ視界に飛び込んできます。

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参道の手前に小さな川が流れていて、その先に二之鳥居。
(月読神社は二之鳥居の手前で左に曲がります)

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この鳥居を見て「鳥居にぶら下がってるアレは何だ?」と思ったのですが、松尾大社のHPによるとこういうことだそうです。

〔脇勧請〕
赤鳥居の上部に柱と柱を結ぶ注連縄があり、それに榊の小枝を束ねたものが数多く垂れ下っていますが、これは脇勧請と称されるもので、榊の束数は平年は12本、閏年は13本吊り下げる慣わしとなっています。この形は『鳥居』の原始形式を示すもので、太古の昔、参道の両側に二本の木を植えて神を迎え、柱と柱の間に縄を張り、その年の月数だけの細縄を垂れて、月々の農作物の出来具合を占ったとされています。現在では、示す詳しい資料なども現存せずその占いの方法や仕方などはほとんどわかりませんが、占いによって月々の農作物などの吉凶を判断していた太古の風俗をそのまま伝えているので、民俗史学上も貴重な資料とされています。


榊でした❗
茶色くカッサカサになっていたので分からなかった💧
太古の昔はこれで農作物の出来を占っていた、と。
資料が残されてないのでどのように占っていたのかはわからないみたいですが、気になりますねぇ✨
「榊の束数は平年は12本、閏年は13本吊り下げる」と書いてあるので、昔は閏年は一年に13ヶ月と言う設定だったんですね💡

二之鳥居から楼門までの間に茶屋やお漬物屋さんなどがあってとてもそそられるんだけど・・・フライトまでの時間があまり残されていないので(大坂で大好きな住吉大社に寄りたいから💦)、残念ながらスルー💧

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次回来た時は堪能します😃

楼門の両側には随神が配置されてますがこれは江戸時代初期の作だそうです。
随神の周囲に張り巡らせた金網にはたくさんの杓子が。
道民の私にとってはなかなか珍しく感じるのですが、この風習は願い事を記して掲げておけば救われると言う信仰にあるそうです。
祈願杓子というそうです💡

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この日は月曜日でしたが、国内外の観光客があちらこちらに。
他の方から見ればもちろん私も観光客の一人ですが💦

楼門をくぐって・・・

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正面に拝殿❗

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そのまま行きたいところだけど手水舎でお清め。

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この手水舎で御神託かと思うような不思議なことがあったのですが、それは後ほど・・・

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手水舎に龍はよく見かけるけど松尾大社は亀❗

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境内を歩き回ると亀と鯉がたくさん・・・
亀と鯉は松尾大神様のお遣いなのだそうです😃

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拝殿

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本殿から拝殿を撮影


この歴史を感じる古い木の感じがとても好きです😃
古木の香りも・・・

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本殿


とても荘厳な雰囲気の本殿
こういう色味の狛犬さんもなかなかいない気がします。

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授与所

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神輿庫

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絵馬掛け


絵馬掛けを正面から見るとこう。

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相生の松


とにかくここの神社も広い❗

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どこかの駅にトランク預けて来ればよかった・・・
何度そう思ったことか(笑)
皆さんに色々お伝えしたいので諦めずにひたすら歩き倒します❗

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重軽の石


重軽の石は伏見稲荷大社にもありましたね🎵

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幸運の撫で亀

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幸運の双鯉

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椋の霊樹

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伊勢神宮遙拝所


小さなお社もあります。

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衣手社から順に・・・

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衣手社と一挙社

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金刀比羅社と祖霊社


キジバトの鳴き声が聞こえるな〜と思ったら、こんなところにいました😃

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全然逃げません(笑)
休憩中のようです。
地面、暑くないのかなぁ?

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祓戸大神


冒頭で伝えた手水舎での不思議なことですが、たまたま手水舎で居合わせたご婦人に話しかけられたのです。
トランクを持っていたから旅人だとわかったんでしょうね。

「こっちは暑いでしょう。どこから来たの?」

と話しかけられ、「札幌から来ました」なんていう会話の流れからそのご婦人のご子息も札幌在住のようで・・・
と、そのご婦人が、

「奥の方にね、滝があるの。
 後で行ってみて。
 そこの水は本当は飲んじゃいけないんだけど、"見物です"って言って滝の水を飲んでごらん。
 亀の方じゃなて滝の方ね!」

無邪気な感じでこう言われたのです。

「わかりました、行ってみます。
 色々お話ししてくれてありがとうございました!」

なんて言って拝殿へ向かった私ですが、ふと、見ず知らずの旅人に何でいきなりあんなことを教えてくれたんだろう・・・と少し不思議に思っていました。

思えば、この旅の始まりでも不思議なことがあったんです。
札幌から千歳空港までの移動のJRの中で、見回り(?)に来た車掌さんが私の前で立ち止まり、これまたいきなり、

「あっちは暑いからねぇ!
 熱中症にならないように気をつけてね」

と笑顔で言ってサーっと人ごみの中を消えて行きました・・・
たくさん人がいる中で私だけに話しかけてそう言ったのです。
咄嗟に話しかけられたので「はい」としか答えたれなかったんだけど、その直後ポカーンとなりました。

今の何???💦
なぜ私の行き先を知ってるの?👀

トランクを持って空港へ向かうJRの中にいたので飛行機でどこかへ向かうであろうことは簡単に想像つくだろうけど、空港からは色んなところへ向かう飛行機が出てるのに、私が暑い地域に行くだなんてなぜわかったのか!?
北に向かう飛行機もあるのに!?
もしくは東京や関西でトランジットしたとしてもそこからの行き先なんて誰にもわかるワケもないのに・・・💦

もしやあの車掌さんが依代になってくれた??・・・

なんていう出来事から始まったこの旅。

手水舎で言われた滝はどこにあるんだろう?
探しながら松尾大社を一回りしてみたけど視界に入るとこには見当たらない・・・

と、ここに謎の通路が

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行ってしまえ
と潜った先には・・・

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緑とお社の景色が広がっていました
本殿がある方とは雰囲気が違います。
透き通ってる感じ

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ここは「松風園」という庭園になっていました。
通路の右にお庭が広がっていたのでそちらへ行こうとしたら、曲がり角にある社務所のおじさんに、「そっちは有料なんだ。あっちの滝の方は無料だよ」と引きとめられました。

「滝!?」

踵を返して”あっちの滝”の方へ向かいました。

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正面のお社の手前、右側にあるのは手水舎かな?

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暗くて見えないけど、近づいたら御影石で作られた亀の口から水が出ていて、手前に小川が流れていました。

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あの手水舎のご婦人は、
「亀の方じゃなくて、滝の方」
って言ってたっけ・・・
しかも「亀の方のはもう飲めないから・・・」とも言っていた。
このブログを書くために松尾大社について色々調べていたら、この「亀の井」の水は滝からの霊泉で、酒造家はこの水を酒の元水として造り水に混和して用い、また“延命長寿”“蘇り”の水としても有名とのことでした。
滝は「霊亀の滝」といい、この滝から流れ出る「亀の井」の水は現在は茶道や書道の用水として早朝から開門と同時に家庭用水として酌みにくる方も多いようです。

今更だけどそうなると益々、あのご婦人の言葉が気になる・・・
飲用できるのに「亀の方は飲めない」と何故言ったんだろう??

「亀の井」からふと左に目をやると奥に赤いものが

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おお!!?

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上の方に何か白っぽい筋・・・そして足元に小川・・・滝やないかい❗❗

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早く行きたい
一人でかなり興奮しながら足早に向かいました。

正面にあったお社をの前を過ぎて・・・

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今気づきましたが、立て札に「滝御前」て書いてあったんですね(笑)

このお社の右奥にも赤い鳥居がありました。
あっちも行けるのかな?

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後で行ってみようと思ってたのですが、そんなことも滝の前で全て頭から飛んで行ってしまいました(笑)

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「滝御前」・・・ここだ、見つけた

なんとも言えない神聖な雰囲気・・・
空気にキラキラしてるのが混ざってる感覚・・・

ここに来た途端、空気感が違ってまるで別世界のようで凄く気持ち良くて、猛暑の中をひたすら歩いて汗だくのヘトヘトだったのに、そんなことはどこかに消えてしまって、ふわ〜っと何かに包まれる感じがしました

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お社の横にある苔むした石、何かわからなかったんですが、今回滋賀に呼んでくれた方が後日ここを訪れた際にはいなくなっていました。

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写真でどこまで皆様に伝わるかわからないけど・・・

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是非、受け取れるなら受け取っていただきたいです

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因みに、この滝の左の岩壁に「天狗岩」と呼ばれる部分があるのですが、わかるかなぁ??
写真の中央部分ど真ん中に大きめに写ってます。

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・・・が、わかりにくいと思うので是非実際に行って確認してください(笑)

途中、人間ぽくない人が滝御前の手前に突っ立っていたのですが、ここには入れなかったようです

ずっとこの場所にいたい気分なのですが、何しろフライトの時間が押し迫ってきてるので・・・
滝御前で神様にお礼と「また改めて来ます」とサヨナラをして渋々その場を後にしました。

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松風園の入り口へ戻るの図。


境内マップでも入手してたら別だけど、訪れても「滝御前」まで行かずに帰った方も結構いるんだろうな・・・
手水舎であの謎のご婦人に会わなければ私も見過ごしていたかもしれない・・・
でもあまり無駄に知られてない方がいいのかも・・・

そう考えると益々不思議な気持ちになるのと同時に、感謝の気持ちでイッパイになるのでした。

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楼門から参道の眺め


この後、恒例のコースで、関空までの道のりで大阪で途中下車して好物の551蓬莱の豚まんと焼売とチマキを仕入れて住吉大社へ向かいました。
今回は五大力の御守りもお返ししなきゃだし・・・
(住吉大社は以前に書いてるので、興味のある方はこちらをどうぞ)

大好物です、551
札幌にも肉まん(豚まん)屋さんは幾つかあるけどここまで美味しいのはない
焼売もチマキも今までの人生でピカイチ

あ、551って札幌にはないんですよ。
つい先日、大坂在住の知人と会話してた時に「551は関西にしかないんだよー」ってことを伝えたら、
「え、ほんまに❗知らんかった❗」と。
札幌来る時あったら豚まん買ってくわーって言ってくれたので「チマキと焼売も❗」と図々しく上乗せしておきました(笑)

住吉大社駅の近くの公園で豚まん食べてた時に思い出したんですが・・・

やっべーーーーーー❗❗
滝の水飲むの忘れたーーーーーッ❗😵


ガッカリ・・・
でもまぁ、お水いただかなくても充分なぐらい神気で包んで下さったのでそれだけで有難かったから今度にしよう、ということで自分を納得させました💧
戻る時間の余裕もないし、また松尾大社に行く理由ができたということで❗

これも後から調べてわかったのですが、「亀の井」の山側にあった鳥居は松尾山の古代の磐座の登山道にある鳥居で、有料だけど磐座参拝が出来るんだそうです。
今度は松尾山を登って磐座まで行ってみたいなぁ
伏見大社のお山も全部登ってないし、これはまた京都行かなきゃダメですね

他にもたくさん行きたいところがあったけど、日にちが足りなすぎました

京都は神様に守られた素晴らしい土地ですネ

また遠くないうちに訪れたいと思います❗
また、今回の関西旅行でお会いできた皆様、心からありがとうございました
posted by RYO at 06:18| Comment(0) | 神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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