2014年09月08日

6. 中島公園の中 その1 〜札幌市中央区 水天宮〜

札幌市の中央区内には有名な公園が幾つかあります。
特に中心部には大通公園と繁華街ススキノの更に南に中島公園がありますが、この広い敷地の中島公園内にも幾つか神社があります。

今回はこちら。

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水天宮をご紹介します。


『水天宮』
所在地  札幌市中央区南9条西4丁目429番地
祭神   天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
     安徳天皇(あんとくてんのう)
     高倉平中宮(たかくらたいらのちゅうぐう)
     大國魂命(おおくにたまのみこと)
     大己貴命(おおなむちのみこと)
     少彦名命(すくなひこなのみこと)
旧社格  ?
例祭日  7月25日
鳥居   靖国鳥居
社殿様式 神明造

【由緒】
 明治17年(1884)旧久留米藩士水野源四郎翁が、九州久留米水天宮本宮より御分霊を奉戴し渡道、札幌市南2条西4丁目に祀る。明治18年鴨々川畔佐藤源八郎邸に祀られ、明治21年現在地札幌市中央区南9条西4丁目に社殿を建て、終戦後昭和27年10月17日神社本庁に所属、日本第39分霊社の一つに入っている。昭和60年7月25日御創祀百年奉祝祭を斎行、平成7年7月25日には御創祀百十年祭を斎行した。



地下鉄南北線の「中島公園駅」を出るとすぐ中島公園の入り口があります。
広い中島公園は緑がとても多く、ジョギングしてる人、犬の散歩をしてる人、通勤路にしてる人、池のほとりで休んでる人、色んな方が自分の時間を楽しんでいます。
この公園の中を流れる「鴨々(かもかも)川」はススキノを抜けて札幌中心部を走る「創成川」と合流していきます。

中島公園の入り口を抜けると右手に鴨々川が流れており、その川の途中に『水天宮』社号票が建っていて川にかかる橋を渡ります。
(裏からでも行けるけど・・・)

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川のサイズに合わせてるので橋のサイズも小さいですが、川には鯉も放されており、色んな柄の鯉や時には鴨など水鳥もいて(正に鴨々川たる所以exclamation)、ここから川を眺めてるのもそんなに悪くないですよ

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さて、この水天宮ですが、札幌市中央区の中心部に近いで背中には交番、その交番の前の通りは交通量の多い「南9条通り」、水天宮の右側は中島公園ですが、正面と左側はゴチャゴチャした住宅街です。
私が訪れた時は正面の大きなマンションが改装工事中でけたたましい騒音を放ってましたあせあせ(飛び散る汗)

そんな場所に『水天宮』はあります。
(後にその工事中のマンションに知人が住んでるコトを知るんですが笑)

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参道


工事中のマンションの下で作業をしてる方がいたので後ろに下がって鳥居を入れた写真を撮ることができませんでしたたらーっ(汗)

鳥居をくぐると手前から由緒書き、手水舎、そして小さなお社が二つありました。
社殿を含め手水舎の水がカラカラで柄杓もないところを見ると、参拝者があまりいないのかな・・・

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由緒書き

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手水舎

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「水天宮」と名の付く神社は全国にたくさんありますが、こちらの水天宮も九州久留米水天宮本宮からの御分霊。
都会に飲み込まれたような札幌水天宮も戌の日には安産祈願のお参りにくる方はいるようです。

余談ですが、『水天宮』の由来は以下の通りです。

天御中主大神とともに、安徳天皇、建礼門院、二位の尼をご祭神といたしましたのは、おおよそ七百年前もの由縁に遡ります。
平清盛の血をひく安徳天皇は、源氏の厳しい追及によって京から西へ西へと逃れざるを得ませんでした。
ついに壇ノ浦の合戦で源氏の軍船に取り囲まれ、祖母の二位の尼に抱かれ、母の建礼門院と共に波間に身を躍らせました。
戦の後、建礼門院に仕えていた官女、按察使局(あぜちのつぼね)伊勢(いせ)がひとり源氏方の追っ手から、九州の千歳川(現在の筑後川)辺り、鷺野ヶ原に遁れて来ました。
局も壇ノ浦で共に入水しようとしたのですが、二位の尼にとどめられ、生きてわれら平家一門の霊を慰めよとの命を受けてのことでした。

こうしてこの地に祠を建て、安徳天皇をはじめ平家一門の霊を祀る日々を送りました。

伊勢は後に剃髪して名を千代と改め、里人に請われるままに加持祈祷など行っていましたが、御霊験あらたかにして尊崇する人々が多くなり、尼御前(あまごぜん)と称えられて慕われ社名を尼御前神社と呼ばれるに至りました。
これが今につづく水天宮の起源と伝えられております。

子供の守護神、安産の神様のみならず、古来、農業、漁業、航海者の間で信仰され、さらに病難、火災などの除災招福のご利益をもって聞こえております。
その後、久留米藩第二代藩主有馬忠頼(ただより)公により、現在の久留米市瀬下町に七千坪の敷地が寄進されて社殿が設けられ、水天宮本宮として今につづいております。
そのご分霊が、江戸は赤羽根の久留米藩有馬家屋敷に祀られ、その後、青山から日本橋蠣殻町へと移りました。

ご祭神である、安徳天皇は、御年わずか八歳で海中に沈まれましたが、その若さでの犠牲ゆえに万民を救うという尊いご神慮と称えられて大きな信仰を集めました。
安徳天皇を慈しみ育まれた建礼門院、ともに海中に沈まれた二位の尼もまた尊崇され、水天宮に祀られております。


神社巡りはただの趣味と言えば趣味ですし、自分にとって特別なこといえばそれもまた正解です。
でもその辺の”オカルト好きなミーハー”ではありませんし神様にご利益をいただこうという趣旨でもありません(笑)
世の中には色んな考えの方がいますが、自分にとっては今や切り離せないことになっています。
その中で最近よく思うのは、自分の住んでいる土地や歴史、大きく言えば日本の歴史に触れることの大切さを実感しています。

今、私たちがこうして安心して暮らせるのは他でもない、先人達の苦労・苦悩の産物です。
食べ物も着るものも住むところも道もあるのは全てそうです。
誰かの血と汗の混じった努力のお陰・・・

そう思うと日本の発展の為に命を削った方々、この雪深い北の地を開拓した方々に感謝せずにはいられないし、人とのご縁、そして一日一日を大切にしなければと益々思わされるのです

ありがとう
posted by RYO at 15:42| 北海道 ☔| Comment(0) | 神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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